2023.8.7

【第3回】牧野富太郎、関西の足跡を辿って

こんにちは、ケーサンです。京都・長岡京に住み、森林インストラクターとして「森・木材・紙のサイクル」や「森林認証」などをテーマに活動しています。今回は、2023年の朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルになった牧野富太郎の関西での足跡を幾つか辿ってみましょう。植物を愛した彼の思いにふれながら、日本の植物の面白さに開眼すること請け合いですよ。

牧野博士が名付けた「ノダフジ」発祥の地

10年以上前、大阪の福島区で働き始めた4月半ば頃。あちこちの藤棚に咲く薄紫色のフジの花に目を惹かれました。花房がとても長く印象的でした。この辺りは昔から「吉野の桜、高雄のもみじ、野田の藤」と言われるほどのフジの名所で、豊臣秀吉も藤見物に来たと伝えられています。

ノダフジ
紫が美しい「ノダフジ」

牧野博士はこの地を二度訪れ、この地に咲く日本固有のフジを調査し、野田の地名を冠して「ノダフジ」と名付けました。JR野田駅から歩いて10分ほどの住宅街にたたずむ春日神社の境内に「野田の藤跡」の石碑があります。1945年の大阪空襲で当時のノダフジは壊滅しましたが、地域の人たちが復興に務め、今では毎年4月中旬に、春日神社をはじめ区内各所でノダフジの華麗な花房を楽しむことが出来ます。

ノダフジ発祥とされる春日神社。花の季節にまた来たい!

因みに日本には、二種類の藤の固有種があります。それぞれツルの巻き方が異なり、「ノダフジ」は右巻き、「ヤマフジ」は左巻きとなっており、牧野博士がそれを特定しました。

植物研究所跡には、愛妻の名を冠した「スエコザサ」

研究熱心な牧野博士でしたが、経済的にはなかなか困窮しており、池長孟という篤志家の支援を受けていました。その人物が牧野博士のために建てた“植物研究所”跡が、神戸の六甲山の麓にあるというので出かけてみることにしました。

生憎の雨の中、神戸高速線の大開駅からトコトコ六甲山に向かって、“会下山公園”を目指します。公園の頂上には“大楠公湊川陣之遺蹟” の碑がありました。湊川合戦の際、楠木正成がここ会下山に陣を敷いたといいます。ちょうど、楠木正行(正成の嫡男)の新聞小説を読んでいることもあって、僕にとっては“あっちこっち”ならではの、思わぬ“収穫”でありました。

さて、肝心の「植物研究所跡」はどこだろう? 周辺に案内板なく、それらしい雰囲気もありません。困ったぞ、と思案しているところにウォーキング中の男性が通りかかりました。残念ながら「知りません」。二人目は「聞いたことないね」。三人目、「あぁ、となりの公園ですよ。連れてってあげましょう」。親切なオジサンのお蔭で、やっとたどり着くことが出来ました。実は、“会下山公園”ではなく“会下山小公園”だったのです。周りをよく見れば、“牧野坂”の木板標識もありました。

会下山公園と会下山小公園があります。
会下山公園と会下山小公園があります。
牧野富太郎植物研究所跡
牧野坂と牧野富太郎植物研究所跡の木看板

植物研究所跡は立派でした。四本の朱色の円柱に支えられたパーゴラの横には、寿衛子夫人の名前の付いた「スエコザサ」が植栽され、その隣に御影石で作られた牧野博士の顕彰碑がありました。分厚い書物の形をしており、「牧野日本植物図鑑」をかたどったものでしょう。植物研究所が設立された1918年以降、牧野博士は支援者であった池長氏との約束もあって、神戸を中心に関西へ頻繁に足を運んでいます。

“植物研究所”跡
“植物研究所”跡とスエコザサ
“牧野日本植物図鑑”をかたどった顕彰碑
“牧野日本植物図鑑”をかたどった顕彰碑
愛妻の名を冠した「スエコザサ」
愛妻の名をつけた「スエコザサ」

「ノジギク」の大群落を発見した、姫路市大塩

兵庫県の県花「ノジギク」も牧野博士が命名しました。1884年、22歳の時、故郷の仁淀川沿いの道端で発見したと言われています。

「ノジギク」の可憐な花
「ノジギク」の可憐な花

そのノジギクの大群落のあった姫路市大塩に牧野博士が幾度となく調査に来ていたことを知って、大変驚き、嬉しくもありました。というのも、姫路は僕の郷里で、小学生の頃には大塩近くの海水浴場によく泳ぎに行ったものです。残念ながらノジギクの記憶はありません。

瀨戸内海に面した大塩は地名の通り、塩の産地でした。昔、流下式塩田が立ち並んでいたのを覚えています。塩田のあった頃には周辺の水路や山の手入れも行き届き、潮風に強いノジギクが大群落を形成していました。1925年、牧野博士はこれを見つけ、「日本一のノジギクの大群落」と感嘆したといいます。

その後、塩田の廃止に伴い、ノジギクは、はびこる雑草に負けて姿を消してしまいました。それが、地元のご努力で復活を遂げつつあります。このことを知って、前回お話しした「桜の園」再生のことを思い出しました。

山陽電車の大塩駅を下車した僕は日笠山を目指します。古い町並みを抜け、延命地蔵を過ぎた山の中腹に「ノジギク園」がありました。

坂が続くその先に、「ノジギク園」の看板を発見!
坂が続くその先に、「ノジギク園」の看板を発見!

囲いに覆われ、大切に育てられているノジギク。残念ながら花の季節は10月下旬から11月でした。

日笠山の山頂に到着すると、いつ見ても飽きない、牧野博士も眺めた瀬戸内海・播磨灘の景色が一望できます。

牧野博士も眺めた瀬戸内海・播磨灘の景色

山を降り、続いて南側の旧塩田跡に向かいます。現在も「澪」と呼ばれる水路が流れ、河口にはたくさんの船が停泊していました。かつて入浜式塩田が活躍していた頃、「澪」から塩田に海水を引いていました。両岸にはそれは見事なノジギク大群落が広がっていたといいます。その復活に向けた活動が続けられています。

澪と呼ばれる水路
澪と呼ばれる水路
たくさんの船が停泊しています。
たくさんの船が停泊しています。

現在の塩田跡には、たくさんのソーラーパネルが設置されています。かつて製塩に利用された太陽エネルギーは、現在、発電に利用されるようになりました。ここで、地元出身者としてPRを一つ。機会があれば、兵庫県の代表的銘菓「野路菊の里」を是非、ご賞味ください。

塩田はソーラー発電所へ
塩田はソーラー発電所へ
地元の銘菓にも「ノジギク」の名前が

牧野博士も調査した「ジャヤナギ」の物語

先日、紀の川周辺の史蹟を巡りながら高野山に参詣しました。その奥之院で、武田信玄・勝頼墓所などの立ち並ぶ辺りに「蛇柳供養塔」があります。ここで牧野博士は「ジャヤナギ」に関する調査もしています。

高野山奥の院
高野山奥の院
蛇柳供養塔
垂れず、空に向かって伸びる「ジャヤナギ」
垂れずにまっすぐ伸びる「ジャヤナギ」

高野山の七不思議の一つ「蛇柳」について、植物採集会に指導者として参加した牧野博士の質問に、高野山の僧侶は「昔、高野山に陰謀をめぐらした僧がいた。陰謀が発覚し捕えられ、見せしめのため処刑された。その場所に柳の木が植えられ、“蛇柳”と名付けられた」と答えました。

また「蛇柳供養塔」の“蛇柳の由来”にはおおよそ、こう記されています。「昔、此処に人に災いを及ぼす大蛇が居り、弘法大師が真言密教の修法で封じ込めた。その後、柳が植えられ、此処を“蛇柳”と称した」と。そのヤナギは、既に枯死して見ることは叶いませんが、この種のヤナギの正式名は“ジャヤナギ”となっています。植物名の由来にはどれも物語があって、とても興味深いですね。

この他、牧野は“六甲の高山植物園”、“植木の町、宝塚の山本”、“進学で有名な灘校のロックガーデン”などなど、関西の各所で足跡を残しています。

六甲の禿山に驚き、竹の花の標本を今に残す

最後に、牧野博士の生きた時代と現代とのつながりに想いを廻らせたいと思います。

明治14年(1881年)4月、牧野博士は郷里の佐川から東京に初めて旅行しました。彼の“東京への初旅”という一文に、こんな部分があります。“佐川から徒歩で高知まで出て、高知から蒸気船に乗り、海路神戸に向かう。…… 瀬戸内海の海上から六甲山の禿山を見てびっくりした …… はじめは雪が積もっているのかと思った。” 牧野博士の驚きの声が聞こえてきそうです。

六甲山は江戸時代、樹木の伐採で禿山状態になっており、牧野博士はその光景を目の当たりにしたのでした。“東京への初旅”から20年ほど経って六甲山の植林事業が始まり、更に120年後の現在、すっかり緑豊かな山へと変貌しました。

港から六甲の山を見る

もう一つは、牧野博士のライフワークである植物標本のお話です。最近、全国各地で竹に花が咲き、枯れてしまうというニュースをよく耳にします。わが町、長岡京でも放置竹林の淡竹に花が咲き、枯れてしまいました。そのままでは危険なので竹林整備に二度ばかり駆り出されたことがあります。

長岡京でも放置竹林の淡竹に花が咲き、枯れてしまいました
長岡京でも竹に花が咲き、枯れてしまう事が起きています。

淡竹の開花周期は120年位と言われますが、本当でしょうか。半信半疑でいると、こんな記事を目にしました。南紀に住んでいた南方熊楠が花の咲いた竹の標本を牧野博士に送り同定を依頼したそうです。熊楠が牧野博士に送ったのは正に1903年。120年前のことでした。奇しくも熊楠が牧野博士に送った植物標本が竹の開花周期の物証になったというわけです。時を超えて真実を伝える。博物学の神髄を見た思いです。

めったに見られない「淡竹の花」
めったに見られない「淡竹の花」

植物好き&旅好きがあっちこっち出歩くと、様々な場所で牧野博士の物語に出会います。まだまだお話したいことは尽きないのですが、紙面が尽きてしまいました。今回は牧野博士のこんな言葉でおしまいにしましょう。

「草を褥(しとね)に木の根を枕、花と恋して九十年」


<ケーサンさん プロフィール>

環境保全に貢献するという目的で設立されたエコシステムアカデミーのシニアインストラクターや全国森林インストラクター会会員として活動しています。工学博士号を取得し、かつては製紙会社で銀塩製品の研究開発に従事していました。謡曲や写真を嗜み、最近の読書は宮沢賢治とビッグヒストリー。

FSC C011851

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