2023.4.9

【第2回】桜の園へようこそ

こんにちは、ケーサンです。京都・長岡京に住み、森林インストラクターとして「森・木材・紙のサイクル」や「森林認証」などをテーマに活動しています。今回は、水上勉さんの小説「櫻守」を思い出しながら、その舞台となった武田尾と向日の桜をめぐります。ソメイヨシノだけでない、日本の個性あふれる桜を愛でる“春の旅”に私と一緒に出かけましょう。

小説の舞台となった2つの「桜の園」を10年ぶりに思い起こす

昨秋のことでした。となり町の向日神社周辺を散策していると、”桜の園”の看板が目に留まりました。その時、昔の記憶が鮮やかによみがえったのです。

10年ほど前だったでしょうか。宝塚を流れる武庫川上流の武田尾廃線敷を歩いたときのこと。二つのトンネルを抜けた先に、里山公園「桜の園」がありました。

そこで耳にしたのは、「ここは水上勉さんの小説『櫻守』の舞台になったところ」というものでした。武田尾と向日町の二つの「桜の園」が、僕の頭のなかでつながりました。なんて、感動的! これだから「あっちこっち」は止められません。

まず、私に感動をくれた水上小説「櫻守」について紹介しましょう。

水上勉 『櫻守』(新潮文庫刊)

今や桜の代名詞ともなっているソメイヨシノは、エドヒガンとオオシマザクラの種間交配で誕生したと言われる栽培品種です。江戸時代の後期から植栽が始まり、明治以降、瞬く間に全国に広がりました。それにともない、日本に昔からあるヤマザクラが失われていくことになります。それを憂えたのが、“笹部新太郎”という実在の人物で、莫大な私財を投じてヤマザクラの復興に生涯を捧げました。

その笹部さんをモデルにしたのが、小説「櫻守」です。主人公の北弥吉は、師匠である竹部庸太郎のもとで「桜の園」の園丁として働いていました。「桜の園」とは、“竹部”の所有する武田尾の演習林と、向日町の桜苗圃のことです。

10年ほど前に訪ねた武田尾の桜と、目の前にある向日町の桜が時空を越えて、小説の舞台として私の中で一つに重なったのです。

エドヒガン

弥吉は、全国の名桜を実生や接木で育て、改良を重ねます。おりしも戦中、戦後の激動の時代。弥吉は優しい妻である“園”に助けられ、時代に翻弄されながら桜に一生を捧げます。水上勉は小説の中で、竹部にこんなことをしゃべらせています。

「……濫伐、濫伐で、山をはだかにしてます。かなしい時節やといえます。けど、むかしの山というもんは、鳥が育てました。鳥が果をたべて、タネをウンチにつつんで落とします。タネはウンチを養分にして、地めんに根を張ります。桜の木も、みな、こうして、日本の山にふえたもんですわ。ところが、木イを伐る。伐ったままで、植林はわすれる。これでは、鳥がきまへん。山は赤むけのまま。……」

この小説が新聞連載されたのは昭和43年(1968)。この頃すでに、森林荒廃について鋭く切り込んでいたのには驚きました。

竹部のモデルになった“笹部新太郎”についても少し触れておきましょう。大阪の裕福な家庭に生まれた彼は、「大学を出ても、2+3=5と言えない月給取りなんかになるな」と父親から言われ、東大法科を卒業したものの、日本古来のヤマザクラの復興事業を一生の仕事にしました。

彼の最も有名な仕事は、御母衣ダムの荘川桜の移植事業でしょう。それ以外でも、“近江舞子の桜”、“権現平の桜”、“造幣局の桜”など、幾つもの桜の名所で足跡を残しています。

福知山線のトンネルを抜け、武田尾の桜の園へ

 さて、季節は春、眠りから覚めた冬芽たち。私も桜の花々を求めて出かけることにしました。
JR福知山線の武田尾駅はトンネルの中にあります。

武田尾駅
武田尾駅はトンネルの中

下車して武庫川を上流側に行くと武田尾温泉があり、小説「櫻守」では、そこの旅館で“弥吉”が“園”と初対面をする設定になっています。里山公園「桜の園」はその反対の方向、武庫川渓谷の左岸を下流に向かうことになります。きれいに整備された広場から、いよいよ武田尾廃線敷を歩きます。

武田尾桜の園入口
春まだ浅い武庫川渓谷脇

小説「櫻守」の時代、福知山線の列車はこの廃線敷の上を通っていました。ですから、弥吉も竹部も、そしてもちろん、実在の笹部さんも列車の通らない時間帯に、線路上を歩いて「桜の園」へ向かったのです。

廃線敷を歩く
廃線敷を歩く

枕木の上をしばらく行くと、すぐにトンネルが現れました。ヘッドライトを着け、足元に気をつけながら慎重に歩きます。二つ目のトンネルを出たところが「桜の園」入口です。

トンネルの先を抜けると…
トンネルの先を抜けると…
桜の園の入り口
桜の園の入り口

よく整備された桜坂をゆっくり歩きながら、早春の桜を楽しみました。ヤマザクラとヤブツバキの日本画のような色彩の調和、そして青空に見事に映えるエドヒガン。

エドヒガン
ヤマザクラとヤブツバキ
青空に映えるエドヒガン
青空に映えるエドヒガン

桜坂を更に登り、東屋を過ぎて少し下ったところに“隔水亭”があります。ここは“武田尾・演習林”の桜の研究室でした。小説「櫻守」の中で、弥吉、園、そして竹部たちが演じた人間模様。そして、モデルとなった笹部さんがここで実際に桜研究をしていたこと。多くの花見客の中で、僕は一人、そのことにしばし、思いを馳せたのでした。

武田尾・演習林の桜の研究室「隔水亭」
武田尾・演習林の桜の研究室「隔水亭」

向日町で守られてきた桜苗圃を訪ねて

もう一つ、向日町の「桜の園」へは、小畑川沿いの土手をトコトコ、歩いていくことにしました。向日神社の北側にあり、小説「櫻守」では、ここで弥吉と園が夫婦生活を営み、桜苗圃を守りました。

実際、笹部さんは20年間、この桜苗圃に通い、“造幣局の桜”などの苗木を育てました。ところが、名神高速道路の建設に必要な土砂採取のため、一帯の山林が買収されることになったのです。昭和36年(1961)のことでした。その後、桜苗圃は長い間忘れ去られ、40年以上経って、地元の方たちのご努力で「桜の園」として見事によみがえることとなりました。

さて「桜の園」では、散策路沿いに沢山の種類の桜を見ることができます。いくつかご紹介しましょう。

向日町桜の園
向日町桜の園


ソメイヨシノは五分咲き位。ヒヨドリが忙しそうに枝から枝へと飛び回っていました。

ソメイヨシノ
ソメイヨシノ


枝垂桜はエドヒガンの栽培品種で、枝が垂れ下がります。代表的な枝垂桜は、福島県三春の「滝桜」で国の天然記念物です。

枝垂桜
枝垂桜

笹部桜は丁度、半八重の花が開き始めたばかり。今は神戸市岡本の桜守公園になっている笹部さんの家の庭で芽生えた新種の桜です。

笹部さんの名前がつけられた笹部桜
笹部さんの名前がつけられた笹部桜

山桜が花と葉っぱを同時に展開し始めました。 一気に咲き誇るソメイヨシノの華々しさとは対照的に、素朴で気品があり、じっくりと楽しみたい桜です。

山桜
葉と花をいっしょにつけるヤマザクラ

「桜の園」の感動から、僕の桜の世界が一気に広がりました。テレビや新聞の桜情報はソメイヨシノのことばかり。でも、ヤマザクラ、ヒガンザクラ、そして普賢象などのサトザクラが三月から四月の下旬まで、ひっそりと花咲き散って行く。小説「櫻守」はそんないろいろな桜のことを教えてくれました。

また、稲作の始まった弥生時代、田の神の依り代として、ヤマザクラなど日本の固有種の桜が植えられたと考えられます。桜の花の咲くころ、豊作を願った農耕儀礼が花見の始まりとも言われています。

今はお花見と言えばソメイヨシノですが、全国にあるソメイヨシノは、1本の親木から挿木や接木によって殖やされた巨大なクローン集団とも言えます。それゆえ将来、何らかの大きな環境変化があれば、ソメイヨシノは広範囲に壊滅的な打撃を受けるかもしれません。その時には、小説「櫻守」、そして、実在の笹部新太郎さんは脚光を浴びることになるでしょう。

向日町「桜の園」近くのホームセンターの屋上駐車場。そこから眺める京都西山に淡いピンク色の“ヤマザクラ”が点在していることに気が付くと、小説「櫻守」の竹部のセリフを思い出しました。今回もまた、寺田寅彦の言葉で終わりたいと思います。「自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである」。

京都西山
ピンク色に霞んで見える京都西山

<ケーサンさん プロフィール>

環境保全に貢献するという目的で設立されたエコシステムアカデミーのシニアインストラクターや全国森林インストラクター会会員として活動しています。工学博士号を取得し、かつては製紙会社で銀塩製品の研究開発に従事していました。謡曲や写真を嗜み、最近の読書は宮沢賢治とビッグヒストリー。

FSC C011851

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